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北星学園生協をめぐる、のほほんなブログ。旬の生協情報、極私的情報もお届けします。




2014年1月8日水曜日

生協今昔物語(番外編)

大原です、こんばんは。


生協今昔物語も、今回で完結です。
今回は、今昔物語を読んでくれているパートのO久(オーキュー?苦笑)さんから提供された「資料」を紹介します。

Oさん、実は北星学園生協でもっとも古くからお勤めいただいている方で、以前紹介した中庭にあった喫茶部でも働いていたというほど古くから貢献していただいています。


そのOさんが私に見せてくれたのが下の絵はがきセットです。






表紙には塔があるチャペルの写真で、「北星学園大学」の文字。


そしてその中には6枚の絵はがき。





まずは航空写真。
赤い屋根の校舎が見えます。すでに道央自動車道も建設されていますし、右の上には現在の厚別公園競技場と思われるグラウンドも見えています。
野球場はまだしも、現在の多目的グラウンドは土だけ。(苦笑)
右下にちょっとだけ見えている赤い屋根は、合宿所(現kirari)です。





次の1枚はグラウンド側から見た大学。
いつぞやも紹介しましたが、まだチャペルに塔が立っています。『写真集』(p.36)によれば、現B館が完成した1996年に、倒壊の危険があったため撤去されたそうです。その当時、私はすでに北星学園大学に勤務していて、塔があったことは記憶にあるのですが、いつ撤去されたのかは不確かでした。






そして次は現在の第1研究棟。1987年の冬に竣工しました。
この年の4月に経済学部に経営情報学科が設置されました。






チャペル内部の写真もあります。
2012年にパイプオルガンが新調されましたが、ここに写っているオルガンもいい音色を響かせていました。




北星学園大学のシンボルであるライラックの写真もあります。
ライラックの後ろの白い建物は、現在はセンター棟(管理棟)ですが、最初は図書館だったそうです。





そして最後は現在の大学会館(生協)。竣工は1986年2月。
現在は東側に増床されてもっと大きな建物になりましたが、当時はまだ西側だけでした。





面白かったのがケースの裏に記載されていた住所です。
白石区から厚別区が分区されたのは1989(平成元)年です。住所を見ると白石区になっていますし、郵便番号もまだ3桁の時代です。

白石区大谷地828だったんですね。
ちなみに電話番号は当時も今も一緒です。






この絵はがきセットは、北星学園生協ではなく北星学園大学が何らかの目的で製作したものであることは間違いないでしょう。
Oさんに訊くと、「生協で売っていたと思います」とのこと(だからOさんも持っていた)。
このあたりのことについては、事情通のある方に問い合わせてみたのですが、当時、このようなグッズを作る担当だった方が退職していて詳しくは分からないとのことでした。
しかし、1989年の分区以前であったことは事実ですし、1987年に竣工した第1研究棟がありますので、1987年度か1988年度のどちらかに製作されたものと推察できますね。

そうなると余計に知りたくなります。
どなたかご存じないでしょうか。

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